涙のお父様に出会いましょう。

「栄光の冕旒冠」 (栄光の王冠)


『私が人を疑う時、私は苦痛を感じます。

私が人を審判する時、私は耐えることができません。

私が人を憎悪する時、私は存在の価値をなくします。

しかし、もし私が信じれば、私はだまされます。

もし私が愛すれば私は裏切りにあいます。

こよい手の中にしずむ私の頭は、

苦悩と悲しみに震えています。

私が間違っているのですか?

そうです。私が間違っているのです。

たとえ裏切りに会ったとしても、なおまた許さなければなりません。

あなたを憎悪する者にもかんぜん 愛を与えなければなりません。


(お父様の祈祷)

「愛せない群れを愛し、神の心情をだれも知ることができませんでした。

この私は知ったために悲しみを覚悟し、死を覚悟し、40年の峠を越えてきた苦難の道を天の心情を慰めることのできるみちであるために、どんな道だとしても、どんな死の道だとしても、越えなければならないと決意した決心を中心として… 」


涙を拭いほほ笑みで迎えねばなりません。

騙すことしか知らない者らを

うれいて 悔いることのないものらを

おお、主よ! 愛するという痛みを

私のこの手を見てください。

この私の胸に主の手を、置いてみてください。

私の胸はそんな、苦悩のなかで破裂しそうです。

しかし、逆らう者を私が愛した時、私は勝利を手にしたのです。

もし、あなたも、私のように愛するならば、

私はあなたに「栄光の冕旒冠」を捧げましょう』


2002年 国際詩人協会 最優秀作

お父様が16歳になられた1935年に書かれた祈祷文の詩。

この祈祷の詩が紹介された本の中でお父様は「16歳になった歳の復活祭の聖日の朝にイエス様が現れた。

この日から私は神様の御旨を成就させるために天の命ずるままに御旨の道を歩んできた」

とあいさつの言葉を残されている。



この詩がとても好きで亨進王様の声の詩をよくきいています。

お父様の心情が伝わってきます。

お父様の一生はまさに死ぬ瞬間まで信じ愛してこられました。

誰を信じ愛してこられましたか?

お母様を信じ愛して、子女を信じ愛してこられました。(アベル、カイン)


お父様は全てを許して霊界に行かれました。

お父様無くして人類の救われる道がありません。国進様と亨進様の一体化を通し、王権が完成して霊界に行かれたのではないでしょうか?


霊界に行かれた原因の張本人は韓お母様です。張本人であるお母様が相続者の立場に立つ事が出来ません。

栄光の冠の詩は偶然に亨進様の声になっているのではありません。


16歳の時の詩は天命を果たす決意をしたのです。その心情を相続したのは亨進様です。


神様とお父様の心情に帰ればすべての真実が見えてくるのではないでしょうか?