真実を映す光となります!

シャボン玉ブログより康賢実、真のお母様

死ぬほど忠誠せよ


昔、私が日本にいる時に、日本には経済復帰をしなければならないので、難しいことがたくさんあります。


だから、いつでもアボニムが「何、責任量(=ノルマ、割り当て)をみんなしたのか、できなかったのか」と言われる時、そのとき黄煥寀(ファン・ファンチェ)先生がこのような話をしました。



「アボニム、日本は今難しいので、責任量をするのが本当に難しいです」


このように話をしました。



するとアボニムは雷のように叫んで声を出して叱られました。



「誰がその事情を知らないと思っているの?私が知っていながら、このような話をするときは、これは意味があるんだよ!」


そう言われたのですが、(黄煥寀先生が)「しかし、あらゆる努力をして勝利して責任量を果たそうとしますが、難しいです」と言ったのです。


するとアボニムがどれほど叱られたでしょうか。


黄煥寀(ファン・ファンチェ)先生の顔を見たら、顔が死んだ人の顔でした。死色(ししょく/死にそうな顔色。死人のような顔色)になりました。


なぜそうなのかと、大変、アボニムに叱られたので、どうにかする道理がないんですよ。


そんな顔をしたのですが、最後に彼は、「ああ、してもだめです。どのようにすることもできません」


その時に彼が何を話したと言うと、「命を差し出しておいて、命をかけてします」こう言ったのです。


それでアボニムがその時に笑われながら

「オッケイ」

「本当に信仰の道を行くには命をかけて命を差し出しておいて言ってこそ、その良い天国に行くこともでき占めることもできますが、それをできないならば、行くことができないんだね。」


そう言われながら、(黄煥寀先生が)「命を差し出す」と言われたからアボニムが満足されましたよ。


今日(こんにち)、私たちが天国を目標として行く道は易しい道ではありません。

ここには(そこには)、どのように行くかというと、本当に私の命を出しておいて捧げて、そうすれば勝つことができるのであって、そうしなければできないのです。

それだから、信仰人が行く道は易しい道ではありません。


聖経(せいけい=聖書)にもあります。

死にほど忠誠せよ。死ぬまで忠誠せよ。死にながらも忠誠せよ。


だから私たちは、死にながら行く道がまさにこの道でした。


死んだ次には、もちろん私たちに天国という貴重な国が私たちに訪れますが、私たちは死ぬほど死にながらも行って、死んでも行って死ぬまで私たちが忠誠して行くべき道がまさに信仰の道なのに、今日、皆さんが本当にそう行くには、サタンに勝たなければなりません。サタンを屈伏させなければなりません。


サタンが来て、頭を下げながら、

「まちがっていました。あなたは神の息子や娘であり、

私が本当にエデンの園でアダムとエバを堕落させた悪魔です」


…と、自己正体を明らかにしておいて、告白する時に、私たちは天の側になるのです。



死ぬほど忠誠せよ!

神様、お父様の道を行くことは難しいと感じて止みません。自分たちに命令するお父様の心情を第一に考えて命を捧げて行くならば、お父様の喜ぶ笑顔が目に浮かびます。


今真実があるにもかかわらず、盲目であり聞こえない私たちです。正に夜から昼と真実を映す光となって行きたいと思います。